北村薫さん『鷺と雪』で直木賞! 

ファンである北村薫さんが直木賞を取った。 嬉しい! ”最近読んだ本”の中で★5つをつけた作品だ。難しい時代を(二・二六事件で締めくくっている)余韻の残る清々しい筆致で描いていた。

感性の合う作家さんだな~と、デビュー作『空飛ぶ馬』の時から思っていたが、今回の三部作は昭和初期というモダンではあるが、背景に戦争の予感という緊張感ある時代を据えた点で、なお一層、その感性が研ぎ澄まされていたように思える。

そして、この作者の作品には文学に関する計り知れない知識の山が随所に盛り込まれており、それが私にはとても魅力なのである。
 いい作品に出合えた時に感じる喜びを、一杯与えてくれた作品であったbook。今夜は乾杯wine

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城の石垣

城の石垣になぜか心惹かれる。 和歌山城で三種類の積み方を写真に撮った。

左より
算木積み、野面積み(野石乱積み)、切込ハギ(切石整層積み)P4020004_2 
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きのこの世界 

きのこを食するのが大好きな私,本屋で『きのこ文学大全』なる新書を見つけた時は、心躍る思いですぐに購入した。 キノコは松茸を頭に、しいたけ、えのきだけ、まいたけ、しめじ、なめたけ、エリンギと食用なら喜んでいただくのだが、文学に著されたキノコとなると、ちょっと不安があった。 なぜって、キノコはどうも隠微なイメージが強く、おまけに毒キノコなるものが存在する為、かなりきわどい題材にされやすい。

果たしてこの本を読んだら以降、キノコが食べられなくなるのでは…と、半分は不安もあって、じんわり、じんわりと読み始めていたのだ。 
そんな時めっけたのが、御堂筋沿いの本町のギャラリーで『キノコ展』なる展示会があるというインターネットでの案内。 すわ、これは見なくては、とちょうど高島屋で開催していた『ガレ・ドーム・ラリック展』とドッキングさせて覗いて来た。
自然界の『キノコ』 と、その自然界の花や虫、キノコ等を題材にしたガレやドームの器の展示比較というのはなかなか神秘的且つ、興味深いものだった。
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キノコは黴や酵母と同じ仲間で、菌類という微生物なのだそうだ。普段私達が目にしているキノコの実体は、植物でいうところの花の部分で、実はその下に張り巡らされている菌糸がキノコの活動のほとんどを担っている。

その菌糸が動物や植物を分解して、土に還す役割をしているそうである。 菌類が生産→消費→分解→生産という自然界のサイクルを成立させているから、この地球上は動物や植物の死体に覆われることなく存在しているのだそうな。 う~ん、キノコとは、なんと奥深い根源的な存在であることかeye。 


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贅沢な時間

つい三日前、”3人の名手達”というタイトルの素晴らしいコンサートを聴いてきた。
場所は帝国ホテルのチャペルの中。 つい最近知ったばかりだが、チャペルコンサートとしていろんなアーティスト達による演奏会が定期的に催されている。Ca330571

今回はフルートの榎田雅祥氏、ヴァイオリンの長原幸太氏、チェロの金子鈴太郎氏のトリオによるアンサンブルと、各々のソロの曲が演奏された。

チャペルという限られた空間・場所で、それもほん数席前の場所で演奏される音楽は
本当に深く瑞々しく、洗練された真摯な音色であった。

榎田氏のフルートの流れるような音色と、どんどん音階が変わっていく奏法。
長原氏の一点の曇りもないようなヴィオリンの澄んだ音と淀みなく流れる弦の動き。
ソロではバッハのシャコンヌを弾いてくれた。 難しい曲を軽々と、といえるほど見事に。

さすが二人とも大フィルの首席奏者である。 

それにしても、お腹に響いてくるような深いチェロの音色を、時に影武者のごとく控えめに、時にダイナミックに主役に転じて弾いているチェロの金子氏には感激した。

二人の奏者に視線を合わせながらも、とても楽しそうに軽々と弾いているかのように見えたのだ。

三人とも海外や日本での数々のコンクールに入賞している優秀なソリスト達である。
曲は熟知しているだろうが、アンサンブルで弾いて合うかどうかは、お互いの呼吸次第だろう。
その夜の三人は、曲の合間は小声でお互いを立てあいながらもぴったりの呼吸で聴かせてくれた。

中に初めて聞いた曲で、とても気に入ったのがある。
榎田氏の解説によると、ブラジルのヴィラ・ロボスという作曲家の曲で、アマゾンの密林の昼と夜の情景を現しているそうだ。曲名は「ジェットホイッスル」。フルートとチェロによる演奏である。

ブラジルの曲というのが、新鮮であった。
そして、聴きながらも頭には、ルソーの密林の絵が浮かんできた。

この非日常な空間での溜め息が出るようなひと時。
生きていてよかった~と思える時は、きっとこんな時であろう。

また、こんな演奏会が開かれるそうだ。
3人のファンになった私は次の機会を心待ちにしている。

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ベートーヴェンはお好き?

ベートーヴェンの音楽に対しては、重たそう、堅苦しそう、ドラマチックだけど、しんどそう…と、なぜか昔から偏見を持っていた。 一応昔から「月光・熱情」のピアノ曲や交響曲「田園」のレコードも持っていたし、コンサートで、交響曲第9番や第5番を聞いたこともあるのだが、それでも何か”堅苦しい音楽だ”とのイメージが払拭されないまま、現代に至っていたのだ。

そんなイメージも、この年末、年始に出かけたコンサートで立て続けにベートーヴェンを聞く機会を持ち、すっかり考えが変わってしまった。 年末は、ご存知合唱付の交響曲第9番を聞きに行く。 やはり生はいい、なんて気をよくしていたが、引き続き1月に行ったコンサートで交響曲第7番を通して聞き、すっかり感動してしまった。

これだけ楽章ごとに変化があり、違った楽器がリズムを刻み、なおかつドラマチックで、メロディラインの美しい曲があろうか…。 すっかり魅了された私は、とりあえずレンタルでカラヤン、ベルリンフィルの第4番、第7番の入ったCDを借り、MDに落とし、何度も聞いてみたのだ。

聞けば聞くほど、ベートーヴェンの曲作りの緻密さ、素晴らしさを認識する結果になってしまった。こんなに印象的な曲を書けるベートーヴェンってどういう人なんだろう? 今までの敬遠気味の思い込みなど、すっかり飛んで行ってしまった。

ちょうどタイミングがいいことに、本屋さんで「ベートーヴェンの交響曲」というタイトルの新書を見つけた。それも昨年聞きに行ったガラコンサートで指揮をしていた若手指揮者、金聖響氏と音楽評論家、玉木正之氏の共著だ。買ってさっそく読んでみたのは言うまでもない。

レンタルした時、同時にブラームスも借りたのだが、たまたまフランソワーズ・サガン原作の映画「ブラームスはお好き」の中で使われた交響曲第3番だった。 このブラームスは、あの映画で使われた第3楽章のちょっとメランコリックな旋律が有名だが、第一楽章から通して聞いてみたものの、今の私は好きになれなかった。

ベートーヴェンの楽器同士が呼び合うような楽しいリズムや旋律と違い、不協和音が耳についてどうもいけない。今の私はブラームスではなく、「ベートーヴェンはお好き?」ってとこだな~、と思わずニヤリとする。

本当に音楽は聴く時期や年代によって、受ける感受性も違ってくる。

でも、ベートーヴェンは見直したぞ。 ベートーヴェンの旋律っていいじゃない。 金聖響氏の曲の解説などを読みながら、第4番もじっくり聞いてみる。 長いこと生きてきて、今頃ベートーヴェンは…、なんて感じ入るのも面白いものだな~とつくづく思う。


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奈良その2 コンサート

奈良行きの本来の目的は、夜、奈良県文化会館で開催されるチャリティコンサートを聞きに行くことで、演奏者は大阪フィルハーモニー交響楽団であった。Concertca330567

実は暮の29日、同じ大フィルで、ベートーヴェンの交響曲第9番を聞きに行ったばかり。その時はなんと一番前の座席で、合唱が入る為、舞台がずっと前にせり出している。目をあげるとヴァオリン奏者のドレスやズボンの足元がすぐ目前にあり、落っこちてこないかと心配になったほどだ。

幸い今回は真ん中の席。各楽器のパートも見やすく音もバランス良く聞こえたように思う。

指揮者は山下一史。オペラの指揮が得意なようで、最初の演目はヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。引き続きポルカ「観光列車」、ワルツ「春の声」、ビゼーの「カルメン」第一組曲とニューイヤーにふさわしい明るく、華やかな曲が続く。

二部に移ると、今回第一の聴きどころベートーヴェンの「交響曲第7番」が始まった。ライブで聴いたのは今回初めてであったが、この曲は本当に構成がよく出来ており、多様なリズムが各楽章ごとに刻まれてゆき、メロディーも変化があって飽きることがない。

今までは部分的にしか聞いたことがなかったが、改めてベートーヴェンって、すごい曲を作るな~と感じ入ってしまった。

コンサートが終わった後も、頭の中には、さっき聞いた低音部を刻むベースのメロディーがずーっと鳴り響いているのだもの、すごい!

今年はどうも音楽づいているようで、2月にも弦楽三重奏を聴きに行く。どんな音を聞かせてくれるのか、今からわくわくしている。

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つれづれに思うこと

10月は余りにも忙しすぎたのか、日記を一行も書いていない。でも、この期間いろいろな出会いがあり、まとめて書いちゃおう。

10月にザ・シンフォニーホールの開館25周年記念ガラコンサートに行った。これは私の好きなバンドネオンの小松亮太が出場するのと、指揮者が若手注目株の金聖響氏で、ぜひ聞いて、また見てみたかったのだ。

一言で言えば、ガラコンサートはやはりもの足らな~い!3曲のみでさようならなんだもの。どんなにがんばってアンコールの拍手をしても、やってくれな~い。つまんない、クシュンだ。ブーニンも鮫島有美子さんも、バイオリンのグリンゴルツも、みんな3曲のみ。 

小松亮太はまた別の機会に絶対行くぞ~。それとタンゴはやはりオーケストラと一緒ではダメ。 5人編成ぐらいの少人数でじっくり、たっぷり熱情的に聞かなくては…。 大阪センチュリーを指揮する金聖響氏は流れるように華やかで、いい音を出すが、ソロの演奏を消してしまうのが惜しい。 ワーグナーはよかったけど…。

過日、ちょっとお誘いがあり、田崎真也さんのワインセミナーとやらで、まじかにお話を聞く機会があった。名だたる世界のソムリエだが、気取りなく、スムーズに人を引き込むお話し振りはさすが慣れてらっしゃる。この時、お酒を仕込水として使う贅沢この上ないお酒 『貴醸酒』を教えてもらった。 これが美味い!

まったりトロッとした舌触り。紹興酒あるいは貴腐ワインのような芳しい味と香り。ちょっとはまりそうないい感じ。 これも新しい出会いだ。

つい先日は友人の誘いで、桂米朝一門会の落語会を聞いてきた。ちょうど入り口で、到着したばかりの米朝さんとニアミス。 病癒えられたもののかなり体力が落ちたようで、足元がおぼつかないようであった。落語をするだけの体力がまだないようで、よもやま話ということで軽い小話をされ、あとは小米朝、宗助さんの質問に答えられたでけである。

米朝ファンとして、たくさんの噺をCDで聞いてきた私には、ちょっと寂しいことである。 ちょうど11月6日がお誕生とかで、82歳になられたそうな。

私の手元には、『米朝ばなし-上方落語地図』という米朝師匠が新聞に連載されていた落語と地名紹介の古い本があるが、本当に上方落語を愛する師匠ならではの温かみのある書きぶりである。

やわらかい品のある関西弁で語られる落語は天下一品。師匠、体力をつけて、もっともっと面白い噺を聞かせて欲しいな~。待ってま~す。

   

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モディリアーニの妻

不思議な絵画展を見た。モディリアーニを見に行こうと誘われ出かけたのだが、内容は、半分が彼の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの作品であった。

モデイリアーニが結核で亡くなった二日後、身重の身で夫の後を追い、飛び降り自殺をした妻ジャンヌの作品である。

私自身はその程度の知識しかもってなかった。

が、今回の絵画展で、ジャンヌ自身も若き画学生としてモディリアーニと知り合い、結婚後も創作活動をしていたということが、残された種々の作品群から分かった。

Art012_3  Art011_3        ほとんどがあの独特の筆致で描かれた肖像画であるモディリアーニの絵と違い、ジャンヌの絵は、静物や自然、物語の挿絵など、多種に渡っている。

しかし、かなりしっかりした腕で、独特の雰囲気がある。 モディリアーニが描いた、彼女の肖像画も数点展示されており、今回の絵画展はモディリアーニよりも、むしろ彼の妻に重きをおいたのではないか、と思わせる構成だ。

アルコールと麻薬に依存し、貧困の中で結核とも戦い、ほとんど狂気のような状態でいたモディリアーニとの生活は彼女に何を与えたのだろうか。

なぜだろうか、自らの胸をナイフでつき、死にいく姿を彼女自らが描いている。予感していたのだろうか、自らの死の影を。

そして彼の死後、上の娘をおいたまま、おなかの子と共に身を投げ死を選んだジャンヌは正気であったのだろうか。 

推し量るべきもなく今も謎のままである。

モディリアーニの絵はとっても好き。でも、ひょっとしたら今後彼の絵を見る時に、背後にジャンヌの存在を感じとるかも。 彼の絵の見方が変わるかもしれない。 

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多様な絵画

『フィラデルフィア美術館展ー印象派と20世紀の美術』 を見てきた。Phila001_2

コローやマネの写実主義から始まって → 印象派とポスト印象派 → キュビズムとエコール・ド・パリ → シュルレアリズム → アメリカ美術 と、絵画の時代と流れを追っての展示の仕方がとても分かりやすかった。

そしてフィラデルフィアという歴史のあるアメリカの美術館が、いかに多様な作品を所蔵しているかに、ちょっと感動した。

今回も自分が好きなマティスやルソー、モディリアーニ、セザンヌ等の初めて見る作品に出会えてとっても幸せ。

だが、一方で楽しみにしていたのは、普段なかなか実物を見る機会がないアメリカ絵画。 オキーフ、ホーマー、ワイエス、本当に少数だったが出会えてとってもラッキー。 

夏の暑い一日。頭の中は、画家の熱気と情熱の産物に出会えた喜びで久々に充足感を味わった。

Phila004_2 作品は 左より、オキーフ、ユトリロ、マティス。

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文楽を見て

何年ぶりだろうか、文楽を見て来た。場所はNHKホール。演目は「生写朝顔話」ーしょううつしあさがおばなし。私が持っている”歌舞伎手帖”という本では、「宇治・明石・大井川と天下の名勝を背景に美しい男女が、見初め、別離、めぐり合い、すれ違いを繰り返す江戸時代の”君の名は”である」と解説している。

物語は、別れ別れになった恋人を追い国を出た深雪という女性が、泣き暮らすうちに盲目になり、女芸人に身をやつしてしまう。流れ歩くうちに、探し求める相手に偶然出会うのだが、盲目故、本人は相手に気付かず、また別れ別れになってしまうという哀れな人情物である。

演目は、その哀れな深雪が、道中、くだんの青年と出会う宿屋での”笑い薬の段””宿屋の段”。雨の中、青年を追いかける”大井川の段”の三演目であった。

文楽は、人形、浄瑠璃、三味線の三要素からなっており、三味線の伴奏で語る浄瑠璃に合わせ、三人の人形遣いが一つの人形に所作を演じさせるのである。大夫は演目の浄瑠璃をうたい、人形のセリフも一人で演じ分ける。

舞台は歌舞伎と同じような背景であるが、違うのは、真ん中に人が通れるだけの空間があり(船底)、そこで人形遣いの三人(主遣い、左遣い、足遣い)が人形を操るのである。 その前には人形遣いの足元を隠し、前景を表す為の手摺が設けられている。

今回、最初に竹本住大夫氏から文楽について、また演目についてのお話があった。文楽は江戸時代に端を発し、歌舞伎と競い合って現在まで伝統芸能として演じられてはいるのだが、浄瑠璃と三味線、人形という特殊な世界である為、なかなか一般受けせず、観客が入らないのが悩みのようで、大夫の言葉の端々からもそれは感じられた。 

現に私も歌舞伎は見れども、文楽には足を運ばなかった。なんかまだるっこしい感じがしていたのだ。

今回久方ぶりに文楽に触れ、決して分かり難い物ではなく、舞台といい、浄瑠璃の語りといい、勢いのある太棹の三味線まで非常に興味深かった。

 浄瑠璃も、舞台上方にセリフが字幕で出る場所が設けられており、流れがとてもよく分かる。

歌舞伎・能、狂言・文楽、いずれもそれぞれ演じ方は違うが、長い間厳しい修行によって連綿と受け継がれてきたことにより、どれも非常に洗練された高度な動きになっている。舞台、音曲、それぞれの所作といい、日本の文化が凝縮された芸能の世界がそこに見られる。

何より、見て面白く、興味がつきないというのが一番である。

文楽については、まだまだ知りたいことがあり、今回は日本の芸能の面白さを再認識させられた。 これを機にいろいろ観劇してみなくては、と思っている。

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